散る桜が流れずにとどまった小川一面を覆い隠していた。
その綺麗さに数人がカメラを構えたり、中腰で見入ったりしている。
風は冷たくなりきらないとは言え、やはりまだ冷たい。
でも、もう雪は降らないだろう。
俺はずっと桜の川に見入っていた。
気づくと、さっきまでいた人たちはいなくなっていた。
いや、もう一人この小川を眺める女性。
ずいぶん華やかな、でも薄手のシルクのような衣装だ。
スカートは大きなフリルが上品についている。
季節的にはまだ寒いと思うのだが。
成人式?
いや、もう少し歳は上に感じる。
明るいピンクと白のグラデーションが年齢を混乱させてるんだ、きっと。
小川をじっと眺めている。
何か思いを馳せる経験が、これと似たような風景にあるのだろうか。
俺は前を向いたまま、視界の端っこで彼女を見ていた。
風が腰くらいの角度で下からゆるく吹きあげると、彼女の栗色の長い髪全体をふんわりと宙に浮かせた。
知らない顔。でも綺麗だ。まなざしは遠くを、小川の中の更に向こうを見つめるようだった。
ゆっくりと彼女が息を吸うのがわかった。
真っすぐ向こうを指さすと・・・


叫んだ。


「あかたんっ!」
「!?」


別を指さして


「あおたんっ!」
「え?」


今度は向こうを指さして


「ぼうずっ!」


は・・花札?
なに?なに?なに?


「猪鹿蝶っ!」

「雨っ!」


あっちこち指さしては次々花札の手を叫ぶ。
ついついこっちもつられてゆびの指す方を「あっちむいてほい」してしまう。


「月見で一杯っ!」


ん~、どっちかつったら「花見で一杯」じゃ・・・


って呟こうとしたら


突然こっちをくるって向いた!


俺はギクっとして目ん玉むいた。いきなり総毛立った。


だって、こえ~んだもん。



これだよ。
ちょっとでもときめいた俺が間違いだった。
ちょっとでも「うほほ~♪」とか喜んだ俺がバカだった。
このシチュエーションでまともな人間が俺の傍にいるわけね~じゃんよ。
やっぱ来やがったんだ、妖怪なんとかだ。


そして、



「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」

あちこち指さしながら「あかよろし」を連呼し始めた。

でも目はずっと俺を見てる。


「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」
「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」
「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」
「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」
「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」


いつまでもいつまでも。


「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」
「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」
「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」
「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」
「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」


あんまりの迫力に無言のまま身動きもできず、呆然と彼女を見ていた。
その間あちこちさす指が俺に止まることはなかった。
やがてくるっと踵を返すと、丘の方へむかって一人大行進のように歩き始めた。


「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」
「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」
「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」
「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」
「あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!あかよろしっ!」


なんだ、なんだ、なんだ?
なに妖怪だよ、こいつ(泣)

妖怪は丘まで上がると仁王立ちして腕をまっすぐ空へ上げ天を指さすと


「あか~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」


と一叫びしてそのまま動きを止めた。

俺はてっきり「ばあちゃんが言っていた・・・。(カブト知ってますか?)」とかやるのかと思ったんだけど、まあ、そりゃないよね。


妖怪女はゆっくりと手を下すと、

「よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!」

と言いながら丘を下ってきた。
やたら姿勢がいいのなんのって。一人で行進してんだもんな。


今度は「よろし」を口にするたびに「グッジョブ!」の形に立てた親指を胸に向けながら。
どうやら「あか」は今まとめて全部言い切ったらしい。
残りの「よろし」を連呼し始めた。


近寄ってくるよ。
「よろし、よろし」って寄ってくるよ
いやだな~・・・

と、3m程先で止まった・・・


俺は二、三歩後ずさるった。
すると…
彼女も二、三歩下がってとどまった。

ん?

一歩前に出ると、彼女も同じだけ出てとどまった。
一つ動く度に一つ「よろし」と「グッジョブ!」。

こりゃ、どうしたもんか?

もう一度三歩下がると、彼女三歩下がる。
二歩近付くと、向こうも・・・
「よろしっ!よろしっ!」当然「グッジョブ!グッジョブ!」は付いてくる。



お・・・襲ってくるわけじゃないんだな。
と同時に溜息が出た。



今度は当てず寄らず攻撃かよ。
ったく、いろんな妖怪が居やがる。


「あのさ・・・。」
「よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!」

おお。止まったまま又始めたぞ?


「何やりたいの?」
「よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!」
「よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!」
「よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!」
「よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!よろしっ!」

だんだん「よろし」が違う言葉に聴こえてきた。


「ゆろしっ!ゆろしっ!ゆろしっ!ゆろしっ!ゆろしっ!」



あ・・あれ?



「ゆるしっ!ゆるしっ!ゆるしっ!ゆるしっ!ゆるしっ!」


なんか、前にも同じような経験渋谷でしたなあ。
あの時は紫陽花のお化け軍団だった。



「ゆるすっ!ゆるすっ!ゆるすっ!ゆるすっ!ゆるすっ!」

「・・・」


「ゆるすっ!ゆるすっ!ゆるすっ!ゆるすっ!ゆるすっ!」

「ゆ・る・す・・・?」


突然彼女の叫びと動きが止まった。

じっと俺を見ている。



なんだっけ?



そうだ、そうだ、俺は桜が敷き詰められた小川を見ながら一人の女性を考えていたんだった。

今までどうしても許せなかったんだ。

俺自身のプライドもある。

けれど、状況もわきまえずに傷つけられたことがどうしても許せなかった。

たとえばダイエット中に好物の「大仏様のおへそ」を土産にされて食わないからと怒られたらどうだろう?
同じように、たとえば鬱状態の時に突き放されたらどうだろう?
たとえば死を直視した後、誕生日におめでとうは言えない。だから幸せになれないと言われたらどうだろう?

その無思慮さが許せなかった。
その経験値の低さが許せなかった。




けれど…



そっか…



許さなきゃいけない時期に来てるんだな…。


何もかもさ。



許さなくても何も起こらない。
許したって何も返りはしない。


でも、許したら多分軽くなれる。


だって、重さの原因はその前に傷つけてしまった後悔も積ってるんだから。


俺は今まで沢山許されてきた。
だから許してあげなきゃいけない。


又、思い出した。



そうだよな。



許されたって、許されなくったって幸せになっていいんだ。
許したって、許さなくったって幸せになっていいんだ。


だったら軽くなる方を選べばいいじゃん。




一瞬消えていた視界が戻ってきた。



彼女はそこに立っていた。


にっこりほほ笑んでいた。


ゆっくりと桜が覆う小川に足を入れると、桜の上に浮かんだ。



間もなくスーッと消えていった。



妖怪女の消えた場所をただ見つめた。


風が吹き、常盤色の草木を抜けてきた桜吹雪が新しい無数の花弁をその跡に舞い落としていった。

そうだよね。

幸せになれ。



中腰で小川に見入った時。


いきなし桜の中から手がにゅっっと飛びだしてきた!
驚く俺の目の前で手は親指だけ残してグっと握られた。

「グッジョブ!」



キャリーかよ…




J's Coffee Break Station-さくらかわ



はい、どんと晴れ。