あの揺れで津波が来ないわけない。

一体何分つづいたんだろう…。

パスポートを受け取りに行こうと部屋を出た瞬間、奇妙な地鳴りがして、小さく床を下から叩きあげるような音が始まった。
音の正体を確認しようと動きを止めて間もなくFOMAの警報が騒ぎ出した。初めて聴いた。
同時に恐ろしく早いスピードで、下から巨大なハンマーで叩きあげられた。
ダダダダダダダダダ!
まずい!
とっさに外に飛び出した。絶対に家が潰れると思ったからだ。高い建物も看板も電柱も無い。家の中より安全だ。
庭に立つと世界中に凄い音が鳴り響いていた。宮城県沖地震とは全く違う。あの時はこの広い庭が波打っていた。今回は違う。全部が上下に動いていた。
親父を探しに行かなきゃ。ところがあまりに揺れが大きすぎて動けない。下手に動いて家の横を通る時、崩れた何かが落ちてくるかも知れなかった。
とにかく揺れが収まるまで少し待とう。
なのに止まらない。むしろどんどん強くなっていく。

それがピタっと止んだ。

そのすきにトランクにノートパソコンをつっこみショルダーバッグを背負い台所に走り込むと、親父のカード類の入った袋をひっつかみ、又始まった揺れの中を外に飛び出した。いつでも東京に戻れるように、自分の物に関しては荷物のうちの大事なものは常にバッグに入れたままにしてあったのが幸いした。

ガガガガと音を立てて揺れる周囲を見ながら親父がどこにいったか考えた。
探しに行こうにも散歩コースをいくつも持っている人だ。
すれ違うわけにいかない。仕方ない、門の前で待っていると、又揺れが来た。
ようやっと向こうから親父がヨタヨタ歩いてくる。
足も悪いが重ねて地面に揺られながら歩いてくる。急いで家に戻ろうとして我慢できなかったのかズボンが濡れていた。
どこのタイミングで津波警報が鳴り響いたか覚えていないが、数メートルの津波が来ると確かにアナウンスが騒ぎ立てていた。
この揺れで津波が来ないわけが無い。

止めても門から階段を下りて玄関へ向かおうとする親父。
家の中は散らかってるから入れないといってもどうしても家の中が見たいと聴かない。
やむなく家に入らせると、今度はズボンを履き変えたいと言い出す。
たしかに濡れたままでは・・・。
親父の部屋に走り込んで別のズボンを取ってくると庭で履き変えさせた。

急がせたいが

「大丈夫だ。ここまで津波はこね~よ。」

と笑っている。

とにかく老人の着替えは時間がかかるが警報から実際の津波到着までは時間があるはずだ。

その間に近所を回ると、やはりみんな残っている。親父と同じだ。

「チリ津波でもここまでは来なかったから、俺はいかねーよ。」

チリ津波(1960年)以前にも、昭和三陸津波(1933年)、明治三陸津波(1896年)3度にわたってこの三陸は津波に襲われている。
彼らはその体験者ではあるが、これらの時とは地形そのものが変わっているし、チリ津波などは地震もなかったし、津波そのもが押し寄せたのは数日後だ。
条件が違っている。
何より、震源地はこの町の沖なんだ。

いくら説得しても一組だけは動こうとしない。

「とにかく逃げられる人は今逃げっぺし!早ぐ!」

呼びかけるだけ呼びかけて急いで親父のところへ戻ると、ようやっとズボンをはき替え終わるところだった。

「早ぐ履いて!」
「大丈夫だあよ。なあに、こねーよここまでは。」

実はこの辺の人たち全ては非常に簡単で大きすぎる検討違いをしていた。

我が家の前の道路は小高い。そして向かって左側にはなだらかな坂を作っていたし、右側は平らで20m先でまた坂を成している。
だからここまで波が上がるなら山田は全滅すると言われて疑いもせずに育った。

ところがだ、道路は高いものの、実は我が家を含めて近所はみな更にそこから1m以上も下に1階と玄関を作っていることに留意していなかった。
道路の位置が高いというイメージだけで安心しきっていたのだ。道路から見ると地下に位置する場所が一階なのだ。
この数十年間、誰もそこに留意していなかったことだって今にしてみれば驚きだ。
いや、留意しなかったのではなく、気づいていてもこの二つが今一つリンクしていなかったというのが正しい。

違う!ここは低いじゃねーか!とやっと本気で気づいた。

我が家の玄関も門から階段を下りて、やはり1m以上下にあった。

「そうかも知れねーげど、地震がおっきすぎっからさ。ここ高ぐねーよ、考えだら。」
「大丈夫だってば。」
笑っている。

「ああ、もう!いいがら、早ぐ!」

そして・・・

今まで一生の内で一度も聴いたことのない音が後頭部の上辺りから聴こえて来た。
キャタピラの動くような、ガラガラ、ゴソゴソ、どどどどど、ごごごごごご、そして波の音などが全部入り混じった不可思議な大きな音が近づいてきた。

「・・・・?」

どんどん近づいてくる。すぐに悟った。

「来た!津波が来た!父さん、早ぐ!急いで!」

おぶるより自力で歩かせた方が絶対に早かった。
手すりにつかまり、不自由な足を動かす親父を軽く押しながらやっとこさ道路に上がった時だ。
左手坂下の角を木材やらゴミの山みたいなものが音を立てて横に流れ出てきたかと思うと、そのままの形状で坂をこちらへ上り始めた。
この時はこの移動するゴミの山がなんなのか見当もついていなかった。

親父はと言えばどうパニクッたのか坂を下ろうとし始めていた。
いや、実際には向かってくる波を見た衝撃で足がすくんだに違いない。
偶然体は波に向いていたから、歩こうとすると波へ向かってしまったみたいだ。
多分、こうして呑みこまれる人もいるに違いない。

「父さん、違う。こっち!」

体こと回転させ、少しでも小高い向かいの駐車場へ押し上げた。
ヨタヨタと短い階段をのぼりかけた途端。

「ここまで来れば大丈夫だべ。」

突然あきらめようとした。
全く、こんな時の老人の判断には驚かされる。なにかが抜け落ちる。油断できない。

「だめだって!上がって!波が来る!」

わずか一人しか通れないような狭い階段だ。
大体にしてここじゃ低すぎるんじゃないか。
この駐車場は墓山の真下にあり、壁伝いに駆け上がれば、一番近い墓所まで走り込める。
かといってそこへ駆けのぼる力は親父にない。
とにかく親父を押し上げた。
正直「俺は間に合わない・・・終わりかな。」と思っていた。

だが、ここで波は止まった。周囲わずか5~6メートルの範囲で止まった。

波の侵攻が止まったことに気づいたのは自分も駐車場に上り切ったときだった。

ゆっくりと瓦礫を残して波が引き始めた。
引いていく波をそろりそろりと追いかける人たち。
どこからどう押し流してきたのか、おびただしい数の瓦礫、ゴミの山。


そして、遠くに立ち上る煙・・・。
これがあの町を焼き尽くした炎の初めだった。

一度家をのぞきに戻った。もう散々だった。
台所や廊下にあった一人二人じゃ動かせない棚類、冷蔵庫、食器棚、全てが字のごとくひっくり返ったり、天地がさかさまだったり。引き出しは全て開け放され、高価な陶器類は全て粉々に砕け散っていた。
洗面所には、裏口のドアを突き破って入って来たプロパンガスのボンベが転がっている。
我が家ではガスは使わない。
一階全てが同じ状態。定位置に収まっている畳なんか一枚もなかった。
Jと姉が小さい頃から使っていたアップライトピアノは斜めに倒れ、妹のセミグランドピアノは足まで浸かった感じだが、多分浮き上がったからだろう、本来なら壁についた波の高さまで浸かるはずだが、濡れていなかった。
いずれにせよ、どちらのピアノももう使えない。

お袋が描き遺した200点以上の作品は全部一階にあったから全滅だろう。

玄関の戸は完全に外れてその辺に転んでいた。

俺の部屋も全て泥まみれ。
キーボードもぐしゃぐしゃに濡れていた。
実は飛び出る時、あの重さのキーボードを一人で二階に運び込む余裕はないように思われたからせめて座布団を乗せて落下物に備えはしたのだが、それごとずぶ濡れだ。

なんとか部屋の中からJのへそくりを見つけ出した。
これから必ず必要になる。逃げる時はそこまで頭が回っていなかった。
だからこれもずぶ濡れ。
後々、避難所のエタノールを使って一部は消毒再生した。


揺れは断続的に続いていた。

又、少し大きめの揺れが始まったので、すぐに部屋を飛び出した。
庭の木々には沢山の紙クズやら、布やらが海草のようにぶら下がり、水天宮の祠は後ろから柱やらタンスやらの残骸に押し倒されていた。
小さいとは言え、一人では戻せない。
裏道路側には残骸が山積みになっているし、古い物置も戸が壊され中身が全部むき出し。
良く見るともう一本ガスボンベが転がっていた。


駐車場に向かった。

やがて、にわかに逃げた人たちの中から声が出始めた。
「おばあちゃんば残してきてしまった・・・。」
家を訊いてもとりとめが無い。

「三郎さんが寝たきりだったのを置いできたあ。」
ヘルパーが泣きながら言った。○○さんの家は知っていた。

第3波の警報が鳴った。

まだ間に合う!先ほどの波とは反対側へ走り出した。
この時瓦礫を飛び越しながら、考えてもいなかった。反対側からも波は押し寄せてきていたのだ。
親父を方向転換させた時、実は津波に挟まれていたのだった。

この近隣の道路ではこの場所、寺小路が一番高い。我が家の門前が最も高い道路、と言うことになる。ここ中心に、更にもう一本下り坂になっているY字路だ。

「ここまで津波が上がるなら山田は全滅だ。」

よくぞ言ってくれた。上がって来たぜ。

ただ、確かに止まった。頂上前で止まった。ここを乗り越えてくる波ならばもう一本の下り坂へなだれ込んだはずだ。もしそうなっていれば被害はもっと大きかったろうし、多分俺たちも呑まれていたろう・・・。

とにかく今は三郎さん宅へ走った。
着くと寝たきりの三郎さんは奥さんに支えられて家の中で、溢れるように引いていく水の中に震えながら下着のまま立っていた。
急がないと次の波が来る。
それにこのままじゃ冷え切ってしまう。待てなかった。まだ引き切らない水の中に走り込み、彼を支えるとやはり玄関前にある階段を上った。そう、この近辺は前述したとおり、ほとんどが道路下に土地を構えていた。
道路の上には数人待ち構えていてくれて、抱える役を交代してくれたのはいいし、方を貸したまではいいが、動かない足を無理やり引きずらせて瓦礫の中を歩かせようとしていた。
全く動かない足を3cmづつ
「よいしょ!よいしょ!」
あきれた菜っ葉の肥やしだ。
これじゃいくらも進めない。
「背負った方がいんじゃないですか?」といえば「そうだ、その方がいい!」とは言うものの、だれも背負おうとはしない。
なんでだ?
もう一度言った。「背負った方がいいんでは?」「そうだな。背負った方がいいかもしれね。」
だけど誰もしゃがまない。

なんだこいつら?

「もういい、俺がやる。」

背負うと、駐車場へ急いだ。

今、何故誰も手を出さなかった?
なんでみんなただ見てた?
俺よりはるかに若い奴らが、背負うのを躊躇して目をそらしたぞ?

駐車場に上がると、とりあえず草むらに三郎さんを横たえた。
やがて奥さんが車椅子を持ってきた。

親父がまたひょこひょこと駐車場から降りて来ていた。

「父さん、降りてくんなってば!戻って!動がないで!」

叱りつけながら、近所へ走った。まだ取り残されているはずだからだ。
さっきの話のおばあさんはどこの家か分からない。けれど、あそこにいたってことは近所のはずだ。

「誰かいますかあ。誰かいますかあ。」
「ここにいますう!誰かあ!助けてえ!」

案の定、声が聴こえた。隣の家だった。ドアはひっくり返った家具で開けられない。窓をむりやりこじ開けると、おばさんが閉じ込められていた。
「Jちゃん、助けてえ」
家の中で天井に届く水の中で浮かびながら耐えていたらしかった。
「おばちゃん!待って、今助けるから!」

近くで見守っていたいた人に役場の人を呼びに走ってもらった。
窓をこじ開けている間に役場の職員たちが到着して、数人で家の中から連れだした。
そのまま、おばさんを裸足のまま、一度我が家の玄関へ連れて行き、もうびしょ濡れでもいいから適当な靴を探して履かせた。
一度、我が家の様子を観に戻ると、ひょっこり親父が下りてきていた。
「おりでくんなって言ってんの!戻って!」
「だって、おめえ・・・」
「良いがら戻って!3波が来っから!」

駐車場のさらに一段50cmほど高いところに連れ戻して、再度近所へ走った。

又、声が聴こえる。見上げると別の家の二階の窓からおばあさんが

「ここ、ここ!」
と手を振っている。

壊れた一階の窓から入ると、階段はゴミで埋め尽くされていた。
ガラガラと足で全部払いのけ、はだしの彼女を二階から下りさせるが、裸足の彼女に階下は歩ける状態じゃない。
靴なんか見当たらない。
仕方ない、足を切りそうなものだけよけて裸足のままなんとか外へ出すと、我が家まで連れて行き、びしょ濡れのお袋が履いていた靴をはかせ、避難所へ急がせた。
途中、プレッシャーから彼女は大量に吐いた。

道路に戻ると消防団が、近くの消火栓にホースをつないでいるところだった。
「家の井戸も使ってください!少しでも使えるかも知れないから。」
と、案内するが、既に津波の汚水がどっぷり流れ込んだ後だった。
しかし水は使える。近所では最も深い井戸だ。
ふと気づくと・・・
又親父がそこにいる。
なんなんだこの人は!

「だぁからぁ、なんで降りてくんのよ!戻れって!」
「だって、おめえ・・・。」
「だってじゃねえ。戻って!」

追い返しながら門まであがると、避難所指定のコミュニティセンターまでの道から水は引いていた。
残骸やらゴミをしこたま残して・・・。
「コミュニティセンターまで行げるね?先に行ってで。」タオルケットを押入れの濡れていないところから引っ張り出すと持たせて先にやった。

もう一度近所へ戻る途中、役場で親父の介護担当をしてくれていた介護福祉士の女性に会う。
「無事だった?」
「それが、おじいちゃんとおばあちゃんを二階に残して・・・。」
「急がないと、次が来るよ。」
「とにかく様子を観に戻ります。」
「気をつけて。」

駐車場に戻ると奥さん、ヘルパーが三郎さんを乗せた車椅子を囲んでいた。
道は残骸がごった返していて車椅子が通れる状態じゃない。
仕方なく裏を遠回りしてコミュニティセンターまで引っ張っていった。
それでも狭い道があり、近所の人たちに手伝ってもらい持ちあげて運んだ。


センターには既に沢山の人が避難していて、近所の人たちもいたし、さきほどのおばさんや、おばあさんもいてくれた。
見知った人たちの生存は確認して、再度飛び出した。
介護福祉士さんの家へ急がなきゃ。

一度荒れた自室にもどり安い懐中電灯を拾い上げると、彼女の家に急いだ。
着いてみると、やはり一階はゴチャゴチャだ。
二階へあがると、彼女とその母、そして毛布にくるまって椅子に座ったおじいちゃんがいた。
薄暗がりなので懐中電灯を点けたが、すぐに消えてしまった・・・
潮水に浸かったせいだろう。
使えないなあ、もう・・・

座ったきり動こうとしないおじいちゃんを必死に説得する彼女。
揺れは断続的に続いている。
このままでは次の大きな揺れで崩れるかも知れない。
津波警報は鳴り続ける。
もう何波目かわからない。
3波目以降はさほどの津波ではないらしかった。
なんとかおじいちゃんを歩きださせると、さらに階段をゆっくり降り、家を出るまでは出た。
その後長く感じた瓦礫の中を10分以上かけて歩かせて道路へあがった。
普通ならば2分とかからない距離だ。
後は彼女に任せて、寝たきりのおばあちゃんを迎えに急いで戻ると、丁度彼女のお兄さんが駆け付けたところだった。
そこからは彼がおばあちゃんを背負い、後ろからJが支えてコミュニティセンターまで移動した。

走って戻った割には、大したことは何もしなかったな。
ただ、いただけだった。
家族が助け出すことができたんだからそれはそれでまあ、いいことだ。
この一家はみんな無事だったわけだから。


センターで飛び交う々言葉。

「まさか本当に来るとは思わなかった・・・。」
「チリ津波では来なかったのに・・・。」


もうすでに夜が来ていた。
タバコを吸って落ち着こうと外へ出た。
既に19:00をまわっていたろう。
オレンジに明るい空はすぐ下の家並みから始まっていた。


火事はすでに数ブロックを焼き進んでいたようだ。

$J's Coffee Break Station-引いていく津波