役場の4Fには発電機で灯りをともした対策本部が設置されていた。
隣接するコミュニティセンターの2Fではストーブの前で津波の話が盛り上がる。
避難所はいくつかある。そして中心地の避難所は旧公民館を取り壊して作った小高い公園だ。
近隣の避難所の中では最も海岸に近い。
第一波でここにいた人たちは波が防波堤を越える様を目の当たりにした。

「ここでじゃ波が上がってくる!」

と第二波が来る前にコミュニティセンターに慌てて移動した。
この距離200m強。
だが、直線コースが実はない。
一度波の来る方へ向かって半旋回、つまり遠く回り込んで降りるしかない。
それからやっと、波を背にする方向へ走ることができる。
その距離は300mまで伸びてしまうことになる。
ややもすると移動の間に第二波が押し寄せる可能性は高かった。
実際に直面しないとこの土地設計の粗悪さはわからない。
結局、第二波はこの公園の縁まで上がった。
町の形状や建屋の材質が少し別だったらここも波に呑まれたわけだ。
もちろん例のごく、「ここまで波は上がらない」と思っていたわけだから、上がった後の逃げ道など考えているわけが無い。
勿論、海側から逃げてくるにはうまくいくのかも知れないが、ここを挟んで山側から逃げ上がるためには一度、波へ向かっていかなければここへは上がれないことになる。
どこからでも上がってこれる場所でない以上。避難所に適した場所で全くなかったことになる。


*               *               *

ストーブ前での被災会話に参加したことで、初めて自分が襲われたのが「第二波」だったことがわかった。
そういえば、波に襲われた直後、災害本部のスピーカーは「第三波」を警告していた。

我が家まで辿り着いた瓦礫の正体も明確になった。
海岸部の区画は南から境田町、川向町、中央町、北浜町、山田(町名と同名)と海沿いに並んでいる。
この町の中心は川向町から中央町にかけての商店街だった。
祭りには神輿が暴れ走る町だった。
第二波は全てを破壊し、その残骸が後方の長崎、八幡町、後楽町(Jの居住区)まで流れついた始末だ。
町役場は八幡町にあり後楽町と隣接している。
あのキャタピラのような音は、海岸部の建屋を次々となぎ倒し、その残骸で次の建屋を破壊し、それらをまとめて全部後方の区画に押し流してきた音だった。
流れ着いた中に遺体があったかどうか定かでない。
少なくとも我々の目には入らなかった。
しかし、この波の中にもまれていった人たちがいたことは確実だった。
海岸で岩の上に作られた「シーサイド」とサブ名を打った老人ホームは90%近くの入居者と所長を失った。

全滅した部落がいくつかあるという。
小谷鳥(こやどり)地区はその一つで、19tもの漁船が、傾きも、船底をかすりもせずに防波堤を超えてきた後、その内側に坐して今なおそのままだ。
田の浜地区は半壊滅。
織笠地区などは海抜が低いため水が引かず、什器の投入ができないらしい。
水の中に何人の遺体があるかは不明。
オランダ島(我々は大島と呼んでいる)という離れ島で、夏には巡航船が往来する海水浴場がある。
ここには多数の遺体が打ち上げられているそうだ。
山田町は漁業の町だ。
その経済を支えてきた一つ、牡蠣の養殖業。
牡蠣棚という「いかだ」状のものを無数に並べその下にぶら下がったロープに沢山の牡蠣を養殖していた。
整然と並べられていたこれらはごった換えし、今ここには牡蠣だけではなく人がぶら下がっている。
直下には泥から突き出た上半身。
右半身が欠如した誰か。
まだまだ無残な遺体が無数に回収されずそのままか、漂っている。
漁業には遠洋、近海、烏賊釣りなどいくつか種類があるが、その他にも定置網漁業がる。
もし牡蠣棚がこの状態ならば海岸の1km付近から罠を仕掛ける定置網漁業、この網にはどれくらいからまっているだろうか。
この近辺にある遺体はまだ「まし」かも知れない。
実際にこの引き波に持って行かれた木材は10km沖で見つかり、同時にそこで遺体も発見されている。
同様の行方不明者が何人いることか。
青森の船が茨城県沖で見つかるなどしたことを考えれば、流された人々も同じと考えられるだろう。
ともすればひと月の間に漂流物は30km沖まで流されるという。
ほぼ似たような状況が東日本沿岸全体に起こっていると考えて遠い見解ではないように思う。

遺体回収に関する現在作業は陸地を優先している。
腐食がはげしく、引き上げようとすると崩れてしまう可能性が高い。
今の季節ならば海水の温度は低く、保存状態をまだ少しの間は維持できることが理由らしい。
とはいえ、海底に転がる遺体に最初に群がるのは魚ではなく雲丹だそうだ。
雲丹は人の体に取り付きやすいらしく、瞬く間に食べられてしまうと、漁業関係の被災者は教えてくれた。

車で逃げたものの、何かを取りに戻った人たちが沢山流された。
警報を聞いても逃げずに呑まれた人たちが沢山いた。
逃げはしたもののゆっくり、ゆっくり歩いていた人たち。波は橋を越えてはるか上空から彼らにかぶさっていった。
何もかもみんな「ここまで波は来ない」と、津波をなめていた結果だ

海岸部に広がる町の中心部は全て海抜より少し高い程度。
どの建屋一つとして土台をせめて1M上げておこうと言う事をせずにいた。
もちろん1Mごときでは意味が無かったが、対策としては必要だった。

今回は世界に誇るいくつかの防波堤があっさり超えられるか、あるいは破壊された。
木造の建物は土台が残るのみ。コンクリートの建物は1階を全てもぬけの殻にされた。
そうだ、。
津波対策を全く考えずに4期も務めた町長を初め、町全体が津波をなめていた結果だ。
破壊された堤防は欠陥手抜き工事の可能性が高い。
折れた跡に残った支柱は直径1cmもない。小指ほどの枝がへし折られて並んでいるだけ。
何枚もの巨大な板が綺麗な切断面をあらわにして町方向に転がっている。まるで、セメダインの接着部からただ剥がれたような綺麗さだ。

J's Coffee Break Station-breaking_waterbreak

もし防波堤が損壊しなければ波の力はもう幾分かは弱まっていただろう。
とはいえ、近隣の町に建てられた防波堤はいたるところで破壊されているから、これが直接の原因とは至極言い難い。
あくまでも推論の域を出ないが、現物を見るとやはりこの粗雑さに驚愕する。

話を火災に戻そう。
とにかく想像する限りの現状では消防車は一台たりとも通れないに違いないと勝手に考えていた。
突然、ガスボンベの爆発が始まった。キノコ状の炎がいくつも上がり始めた。
核戦争の映画でよく見る光景より、炎を直視するかぎり悪魔でも飛び出し来るかと思えるようだった。

しかし、なぜ自衛隊に消火要請しないのか全員が不思議だった。

次々にガスボンベが爆発している。
少し大きな爆発は車だということだった。
ラジオによると、東日本の太平洋岸全域が津波に呑まれたらしかったから、おそらく自衛隊はここまで手が回らないのだろうと勝手に良く解釈していた。

消防団はホースを3本用意した。
火災が役場のそばぎりぎりに来るまでスタンバイしている。
炎はついにそこまで来た。
「放水開始い!」
掛け声と共に放水が始まった。
巨大な火山にスポイトで抵抗しているようで滑稽だった。でも最初からダメとわかっていても戦おうとする消防団に涙さえ出た。
30分もずディーゼル発電機での放水は限界に達した。
後はもうただ眺めるだけ。

役場の最上階に上がった。
今どんな状況なのか、見てみたいと思った。
パノラマに展望できる窓に立った。
呆然とした。

「なんだよ、これ・・・。」

まるで映画で見る地獄の風景だった。オレンジに燃え盛る町が眼下に広がった。
あの一本の煙が、今や町を焼き尽くそうとしている。

「火事がとまんないね。そこまで来たよ。」

避難の部屋に戻りつぶやいたJの報告に、2Fでじっとしていたおばさんがあきれたように言った、

「山田ぁ全部焼ぐどこ?」

火事は山田町を全部焼くつもりなの?という意味の言葉がとても重く哀しく響いた。

少しの期待はしていた。
普通に交差する路地や道路が防火壁の代わりになるはずだった。
ところが、なんの衒いもなく火は広がっていく。
実は津波は多くの家を天地、方角さえもしっちゃかめっちゃかにして道路まで押し出していた。
更に海岸域からの材木の大群がある。
つまり、この津波の後、道路は最初から存在しなかったことになったのである。
期待は裏切られた。

繰り返しガスボンベが爆発する度、炎がキノコのように膨れ上がった。
火災が相当域に広がったある時、巨大な爆発とともにコミュニティセンターの分厚い窓が割れんばかりの音を立てた。
全員が驚いて首をすくめた。
高い場所に設置された窓の向こうに巨大なキノコ炎が見えた。
その大きな爆発はガソリンスタンドだった可能性がある。
後にその方角でもっとも爆発に近いと思われる場所に立った時、そう思った。

余震は相変わらず続いている。
ストーブの周りでは濡れた靴や靴下を乾かそうと人が集まっている。
既に毛布にくるまってパイプ椅子で寝ている人。
隅に集まって、一度戻って家から持ち出してきたお菓子を配る人。

やがて「缶づめパン」が「乾パン」として配られた。
高齢者たちは知っている「乾パン」じゃないので開けた時、不思議そうな顔をしていた。
役場の人たちはまさしく「乾パン」のつもりだったらしい。と言うより、物を理解していなかったようだ。

朝が来ても炎は続いていた。
見守るだけの人たちと消防団。
金網に肘をかけ、5メートルも無い程先で燃えている建屋を見つめている。

J's Coffee Break Station-Yamada_burned_up

タバコを吸い、笑いながら
「次は俺ンちだな。」
「俺んちはなぐなったよ、さっき。」
「ここまでやられりゃ文句もでねーな。」
とか話している。

炎が町のあらかたを焼きつくして勢いが落ち着いた頃、やっと消防車が1台たどり着くと最後の1件の消火を急いだ。

その十数分後ではなかったか。
アナウンスが流れた。

「防災本部からご連絡いたします。ただいま、自衛隊に消火要請いたしました。」

・・・

え・・・今?

・・・

今まで・・・『要請していなかった』の?

なんで・・・?

電話が使えない?他に方法は?車は出せなかったの?
あの発電機はなんだった?

要請後、すぐに飛んできたヘリは2回空中散水して、別の方角へ向かった。
火は消えなかったが、出動はしてくれた。

だが・・・

どういうことだ?

この時点での電話などの通信手段の遮断、電気含めた他のライフライン、どれを取っても状況は震災直後と変化がないはず。
ということは今要請できたのなら、昨晩だってできたはずだ。
その逆も又、真だ。

ん?町長はどこにいた?

町長の認可が下りなければ要請できない手続きは理解できる。
逆に言うと町長がそこにいれば手続きは済んでいたはずだ。
更に、もしそうだとするならば、町長がいなければ緊急の要請さえもできない役場職員の体制、教育はどうなってるんだ?
この惨状をボケっと観ていたのか?
事実はわからないが、憶測ではそうなる。
一ヶ月経った今、町役場が全くまともに機能できていないことを考えると、遠からずはずれちゃいない気がする。


ともあれ火は消えた。


昼過にはコミュニティセンターから豊間根中学校への大移動が始まる。